人間の価値は何で決まるのだろうか?

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人間の価値は何で決まるのだろうか?

 

人間の価値は何で決まるのだろうか? あなたはそんなことを考えたことがありますか?

 

カウンセリングを行なっていると他人の価値観に振り回されている人がものすごく多いことがわかります。

そんな人は、カウンセラーである僕に対して「先生これでいいでしょうか?」といちいち良いか悪いかを確認してこられます。

そして、もちろんそんな人は常に周りの人に気を使い、「これで良いだろうか?」と他人の評価を気にしている。

 

「自分がやりたいようにやって良いですよ。」そう言っても、そもそも自分がやりたいことがわからない。

自分にはわからない。自分には解決できない。そう思われているのです。

「私になんか・・・」

「自分は頭も悪いし、何をやってもダメな人間だから、、」と

常に自分を否定して、自分は価値のない人間である。それを証明するように生きている。

 

でも、そんな人は価値のない人間なのでしょうか?

そもそも、人間の価値って何で決まるのでしょうか?

 

人間の価値を感じた瞬間

 

「人間の価値」ネットでそう検索すると

  • 社会の成功者になって、高額納税者になって、世の中の役に立つ人
  • 人を喜ばすこと
  • 人間社会に於いて他の人を楽にすること
  • 器のでかさ
  • その人の社会的地位や収入 などなど

いろんな意見があるようです。

 

でも、本当に人間の価値ってそんなものなのでしょうか?

 

実は僕の母は認知症です。

認知症とは「記憶」がどんどんなくなっていく病気。

今はもう、僕のことも誰だかわかりません。

 

そんな母は、認知症になってまだ間もない頃。

何度も何度も

「私がなぜこんな目に遭わなければならないのか?」

「何か悪いことでもしたんだろうか?」

「なんの罰が当ったんだろう?」

そんな自分への質問を繰り返しどんどん暗い顔になっていっていました。

 

そして、そんな母を見ていると僕自身が苦しくなっていました。

何とかしてあげたい。

そう思い、いろんな病院を調べたり

良い先生を探したり…

でも、どうしてあげることもできなかった。。

つらかったですね。

 

おばあちゃんの手を握りしめる写真

 

でも、今はちょっと違います。

そんな母を見ても僕自身は苦しくありません。

なぜなら、自分を苦しめていた原因がわかったからです。

 

僕を苦しめていた原因。それはこの「人間の価値」だったんです。

誰かの役に立つこと。何かを達成すること。社会的な地位があること。などなど。。

僕の中でも、それが人間の価値だと思っていました。

 

だから、認知症になれば、誰かの役に立つこともできない。何かを達成することもできない・・・

つまり、生きている価値がなくなる。。

そんな思いがあったんです。

 

でも、そうじゃなかった。

何にもできない母でも僕にとってはかけがえのない存在です。

別に認知症で過去の記憶を失くしてしまっても、僕の目の前にいる母の価値に何も変わりありません。

本当に母には感謝していて、1日でも長く生きてもらいたい。そう思っています。

本当に大切な存在。 つまり価値のある存在なんです。

 

人間の価値とは何か?

 

人間には二つの価値があるという話聞いたことありますか?

人間の価値

一つは「評価価値」といわれるものです。

そしてもう一つは「本質的価値」

 

評価価値とは、仕事ができるできない。

かっこいい、かっこ悪い。

頭がいい、頭が悪い。

自分とは別に評価する人がいて、その評価する人の基準で上がったり、下がったりする価値のことです。

 

多くの人はこれが自分の価値である。そう思っている。

冒頭に書いたように、

社会の成功者になって、高額納税者になって、世の中の役に立つこと、
人を喜ばすこと、
人間社会に於いて他の人を楽にすることなどなど、、

これらもすべて、評価する人がいて、評価される人がいる。

 

だから、良い評価を受けるために一生懸命頑張ります。

出来たらよろこび、出来なかったら落ち込みます。

 

でも、人間の本当の価値とは、そんなことではないのです。

本当はそんな評価価値なんてどうでもいい。

今僕は本気でそう思っています。

 

そんな他人が判断する評価価値よりももっともっと大きくて偉大な価値。

それが本質的価値なんです。

 

人間には本質的価値という大きな価値が誰にだって備わっている。

頭が良かろうが悪かろうが

お金持ちであろうが、貧乏であろうが、認知症で記憶を無くしていようが、、

みんな同じように素晴らしい価値があるのです。

 

評価価値と本質的価値の大きさの違い

並んだ赤いりんごと青いりんご

では、評価価値と本質的価値の大きさはどのくらい違うのでしょうか?

まあ、物理的にナンパーセント、、というようなものではないのですが、

 

人間の価値をりんごに例えて考えてみましょう。

りんごは赤いりんごや青いりんご、傷ついたりんごやピカピカ光っている綺麗なりんご、、などなど

よく見ると一つ一つ違います。

 

でも、皮をむいてしまうとみんな美味しいりんごです。

うすい皮の下には甘い実があるのです。

 

僕は、人間の価値ってこのりんごと同じようなものだと思うんです。

つまり、このうすい皮。これが人間の価値でいう「評価価値」です。

でも、その評価価値の下には、すごく美味しいりんごの果実、「本質的価値」がそこにはある。

 

人間の価値 まとめ

 

最近、母を見ていて、母は僕にそのことを教えるために認知症になったのではないだろうか?

そんな風にさえ思えてきます。

認知症になったとしても本質的価値には何ら変わりはない!

身を持って僕に大切なことを教えてくれた母。

 

人間、生きているといろんなことが起こります。

そして、自分を責めるような時もあると思います。

なんでこんなことになってしまったのか?と悔しくてたまらないことも。。

 

でも、どんなにうまく行かなくても、失敗しても、人に嫌われても、、

それは、僕らの本質的価値からみたらリンゴの皮のようなもの。

あなたの価値になんら影響を与えるようなものではない。

自分は価値ある存在である。

何が起こってもそれだけは忘れないでいて欲しい。

僕も、そう信じて進んでいこうと思います。

 

それでは、今日も最後までありがとうございました。
笑顔いっぱいの一日になりますように。。。

 

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この記事の作者
心理カウンセラー 今泉智樹

ヒプノセラピー(催眠療法)を専門に対面セッションだけでなく、スカイプ・携帯電話を使ったセッションで全世界にクライアントを持つ。
著書「カウンセリングの技術」はカウンセラー以外の人にも心の本として大人気。
潜在意識の声を引き出すカウンセリングはクライアントの悩みを解消してくれます。

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